あっという間に6月終わりに近づき、自由気ままな一人暮らしともお別れ・・
娘の帰国は、1週間前になって、もともとブッキングされていた
エドモントン→バンクーバ→香港→関空のチケットの香港〜関空間が飛ばないということになり、
急遽羽田へ車でお迎え行けますか?と高校から連絡が。
うちはもともと東京まで年に一度は運転していくので、まぁ行けますけどって感じだったけど
あと4人の親御さんはそんな急に言われて行けるのかな??ってかんじで。
でも子供のためならと愛情が深いのか、コロナだから仕方ないとなるのか、文句を言った人は誰もいなかったみたいで、
夫婦で交代で運転したり、一泊ホテルに泊まってから運転したり、行きは飛行機で行ってレンタカーなど色々されてたもよう。
私はせっかく東京行くなら友達にも会いたいなと、前泊でいつもの友達のところに泊めてもらい、
目白の大学で教師を始めた友達と会って、オンライン授業の現状について聞いたり、東京のママ友と会って、東京のコロナの現状聞いたり。
私は比較的普通に生活してたけど、東京の友達はコロナ以来初めての外食だと浮かれていたり、
もう一人の友達は、家族以外とマクスしないで対面するの初めてたと話していたり
東京の人たちは本当に神経を使って過ごしているんだなって感じました。
娘のお迎えは、PCR検査に並ぶので出てくるまで2、3時間はかかると言われていましたが
到着が早く着いたのと検査も人数が少なかったからか30分くらい待って出てきました。
19時前に到着の便で、2、3時間待つなら21時くらいから出発して夜中運転か・・と思っていたので、
気楽に帰路につけました。
飛行機はバンクーバから羽田へ直行のANAで、日本人のサービスは高く
席は同じ列には誰もいなかったので、ベッドのように横になれるくらい快適だったそうです。
PCR検査は、コロナの緊急事態宣言からもう3ヶ月も経ち、唾液でも検査できるとかメディアで言われていたので、
すぐに結果が聞けるかと思いきや、結果は後日連絡。
翌日に連絡なければ陰性と思ってもらっていいと言われたそうですが、陰性と結果の通知が来たのは3日後。
陰性でも14日間は自宅待機。うちは田舎なので早朝や夜に散歩に行っていましたが、
14日明けて登校した日には、登校するだけでぐったりするほど体力落ちてたようです。
帰国して、とにかく何もかもが小人のものに見えると言って、シンクやトイレ、扉、包丁からまな板まで、
小さい、小さいと言っていて、あと、何食べても美味しいと言っていました。
英語は思ったほど上達してなくて、これでよく生活してたなと驚きです。
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